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日本とアメリカ合衆国の市街河川の水質改善

河川は、人類の歴史を通じ、流通、商用、健康、知識の発展に重要な位置を占めてきた。我々は河川を交通や食糧の調達に利用すると同時に廃棄物の投棄場所としても利用してきた。河川の水質汚染は人びとの健康に被害を与えるほどひどくなり、そこに住む生き物の数を減らしてしまった。河川に投棄された物の中には発がん性物質も含まれていた。

アメリカ合衆国、日本のみならず他の工業国すべて都市を流れる河川の水質は20世紀初頭から70年間の間において、大量の未処理下水と産業汚染物質の流入のため、徐々に悪化していった。1970年代以前の正確な河川の水質のデータは無いが、河川の水質悪化は環境問題の重要なポイントになり、日米両国においてほぼ同時に初期の環境保護運動が起こった。

アメリカ合衆国内を流れる河川は、自然の下水道となってしまい1969年には有名なミシシッピー川からそれほど有名ではないクリーブランド市内を流れるクヤホガ川に至るまで、川の水面に充満した油が燃え上がるといった光景が見られた。生き物の姿はなく、悪臭を放ち、泳いだら生命の危機を感じるほど水質が悪化し、さらに川の水面が燃え上がる状況をメディアはこぞって報道し、多くのアメリカ国民がその河川の状況に憤慨した。アメリカ議会は急いで法律を作り、1972年に「国内河川の水質を化学的、物理的、生物学的に修復、維持するため」のクリーンウォーター法を通過させ、今日、市街を流れる河川とその水域は見違えるほど綺麗になった。American Rivers(アメリカンリバーズ)に代表される数々の河川保護グループが河川の水質を守ることの重要性を強力に訴えた努力が、環境問題活動の基礎となった。

日本でも1960年代の急激な工業発展に伴い、河川や沿岸海域に有害物質を大量に廃棄した歴史がある。大阪府の淀川の汚染、熊本県の水俣川の水質汚染(水俣病)、富山県の神通川流域の汚染(イタイイタイ病)、静岡県の沿岸部(田子の浦ヘドロ公害)等の水質汚染は多くの被害者を出した。人びとは、浄化を目的とした河川の汚染防止のための法律を作る必要があることを訴えた。1970年国会は水質汚濁防止法を成立させ、川を公共の水源と定め、それぞれの都道府県知事に対し年間の水質測定を実施して、結果を公表することを義務付けた。1896年にもともと洪水対策のために施行された日本の河川法は、1964年、1997年と包括的に修正され、これらの法改正により洪水対策、水源利用、環境保全を目的とした治水システムが完成し、国内のいくつかの河川再生に寄与した。

日本、アメリカ合衆国の両国が市街の河川復活に対する挑戦し続けている。言うまでもないが、我々は水質資源に対する監視を怠ってはならない。河川は驚くほどの回復力があり、我々の努力によってその水質は向上していくであろう。

2011年7月13日

執筆:Stephen V. Fasano, Senior Researcher

訳 :今川勝之